こんばんは♡
今日は、自己愛性人格障害の彼と
平和だと思って過ごしていたころを
思いだしたので
少しお話をしてみようかと思います。
Tiaraの元彼は
自己愛性人格障害でした。
長い間付き合っていたのですが、
普通と感覚が違うことになかなか気づきにくく
普段は本当に平和だったので
幸せな日々を過ごしていました。
仕事では素敵な彼も
家にいるときは気が抜けるのか
寝ていることがとても多かったです。
頭痛持ちだと言っていたので
寝ているときは
ほとんど頭が痛いんだなと思っていたのですが
起きているときは
どちらかというとインドア派で
ゲームをしたり動画を見たりしていることが
多かったです。
Tiaraもインドア派ですが、
ゲームはあまり得意ではなく
小さいころから弟のするゲームを
見て育っていますので
自分ができないゲームを
彼がやっているのを隣で見ているのが
とても好きでした。
あまりおしゃべりな彼ではなかったのですが
楽しそうに遊んでいるところを見ているだけでも
Tiaraはとても幸せだったんです。
退屈と言えば退屈な人もいるのかもしれませんが
Tiaraは特に、どこかに連れてって、
というよりはお家でまったり過ごすほうが
好きだったので
あまり気にならなかったのかもしれません。
彼もそれで、特に不満だと
いう様子はありませんでした。
本当に付き合って
4年くらいたったころに
ゲームをしていて上手くできず、
コントローラーを投げたことが
1度だけありましたが、
その時はびっくりしましたが
コントローラーをバシッと投げるのは
元旦那さんもしていましたし、
弟も子供のころ、
勝てないとよく怒って投げていたので
そんなには驚きませんでした。
元旦那さんも弟も
自己愛性人格障害ではありません。
でも、投げた回数は明らかに元旦那さんのほうが
多いですし、
怒りのぶつけ方の怖さなら
弟で見慣れています。
弟は自己愛性人格障害ではありませんが
弟もまた気難しいところがあります。
それでも
激化したときは
自己愛性人格障害の彼のほうが
尋常ではない怖さでした。
意味の分からない行動をしているのに
まだ紳士的にふるまい続けているのが
尋常でなくおかしいことに
気づいてしまったのです。
普通なら自分から別れを切り出しておいて
別れるなんて言ってないよ!なんていえません。
それもドラマさながらに縋り付くのです。
行動や言っていることが
あまりにも不自然で
さすがに普通ではないと気付きました。
怖い人なら怖いままなのです。
優しい人なら優しいまま。
普通の人でも
ケンカをするときもありますが、
それでも気持ちは分からなくても
なんとなくその人がなぜ怒っているのかは
分かります。
不自然すぎてびっくりする、
ということはなく
普通にTiaraも怒っていると思います。
理不尽なことで責め続けたりなんてしませんし
コロッといかにもそんなことはしていない、
という事を突然言い出すこともありません。
一定の感情の流れがあるのです。
腹の立つでき事があって
腹を立てる。
ののしるから怒る。
泣く。しばらく時間をおいてからどちらかが謝る、
仲直りをする。
と感情に自然な流れがあるのです。
不自然に怒って無視をしていたのに
無視をしていた側が、泣きついたり、
愛の言葉を投げかけてきたりしません。
人間は感情の生き物ですので
怒ったり、イライラしたりすることは
誰にでもあるでしょう。
でも、不自然さがないのです。
今まで拒否していたのに
急に熱烈な愛の言葉を向けてきて
必死にすがりつく。
コロッと手のひらを返したように
真逆のことを言い出しても
これは自己愛性人格障害の人の場合、
嘘をついているわけではなくて
常に尊大な自分を魅せつけ続けているので
あなたを虐待できる、と思えば
あなたを責め続け、
あなたの上位に立とうとします。
あなたが離れていきそうになり、
まずい、と思うと
優しく寛大であなたにすがり付く
かわいそうな男を演じて、
あなたの気を必死で引こうとするのです。
これは、自己愛性人格障害の人が
全く普通の人の感覚では
考えられない感覚をしているので
悪いとかひどいとか言っても
自己愛性人格障害の人には
まったく分からないのです。
だから自己愛性人格障害の人を責めても
理解できないので
話しても仕方がありません。
あなたが分かってもらおうと
話し合いをすればするほど
あなたは追い詰められていくのです。
普段、どんなに穏やかでも
いざ、という時に
普通の人とは全く違う反応を
するのです。
自己愛性人格障害の人とは
どんなに分かり合おうと
思っても分かり合えないのです。
まったく別の感覚の人間が
いることを知らないので
あなたはショックを受けるでしょうが
それは仕方のないことなのです。
自己愛性人格障害の人は
普通の人が傷ついたり悲しんだりしても
その気持ちを分かろうとはせず、
またわかろうとしても
もともとないものなので
分かるはずもないのです。